^ タイ国政府観光庁. . タイのテレビドラマ:『2gether』, タイ王国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が3件、自然遺産が2件存在する。, 国技のムエタイはスポーツとしての勝敗だけではなく賭けとしての関心も高い。ボクシングもまた人気の高いスポーツの一つである。世界最大の団体である世界ボクシング評議会(WBC)の直系アジアボクシング評議会(ABCO)の本部が首都バンコクに置かれている。ただしタイでは「ボクシング」といえば通常ムエタイを指し、本来のボクシングは「国際式」(ムアイ・サーコン)と呼ばれる。, 総合格闘技の興行はムエタイのイメージを損ない、1999年ボクシング法に触れるものとして2012年3月27日以降は開催を禁止されていたが[106]、タイの観光・スポーツ省の支援を受けて2016年5月27日にONE Championship: Kingdom of Championsが開催され[107][108]、デェダムロン・ソー・アミュアイシリチョーク vs 内藤のび太とマラット・ガフロフ vs 横田一則の2つのタイトルマッチを含む全9試合からなる総合格闘技の大会が行われた[109]。, また、モーターリゼーションが進みつつある近年はパタヤなどに本格的なサーキットが建設され、自動車やオートバイによるレースなどのモータースポーツが盛んになってきている。古くはアジア人初のF1ドライバーであり、世界的に著名なレーシングドライバーであるプリンス・ビラの出身国でもある。現在はARTO大阪が橋渡し役となって、日本とタイでドライバーやチームの行き来が増えている。2014年からタイでスーパーGTの海外ラウンドが開かれるようになり、タイからはトヨタチームタイランドが日本ラウンドも含めてフル参戦している。, さらに、タイ人の母を持つタイガー・ウッズの影響もあり、近年は男子のプラヤド・マークセン、キラデク・アフィバーンラト(英語版)、アティウィット・ジェーンワッタナーノン、女子のアリヤ・ジュタヌガーン、サランポーン・ランクンガセットリンら、タイ出身のプロゴルファーも海外で目覚ましい活躍をしている[110]。, 他にもセパタクロー、サッカー(タイ・リーグ1)、バレーボールが盛んであり、元ヴァンフォーレ甲府の青山直晃らJリーガーが多く所属している。サッカータイ王国代表は、アマチュア限定だった時期の1956年メルボルンオリンピックや1968年メキシコオリンピックに本大会出場を果たしている(ホームグラウンドはラジャマンガラ・スタジアム)。なお、夕方の公園などではエアロビクスやバドミントンなどに興じる市民を見ることができる。, 野球タイ王国代表の総監督に1970年代後半に阪神タイガースのエースとして活躍し、参議院議員経験者の江本孟紀が就任し、IBAFワールドカップに出場したこともあった。, 祝祭日は以下の通りである。土曜日または日曜日と祝祭日が重なった場合、翌日以降で最初の平日は振替休日となる。, なお、タイの紀年法について西暦も併用されているが、ラーマ6世によって1912年に導入された仏滅紀元(仏暦)が主に使用されている。導入された当初は太陰暦であったが、仏滅紀元2483年(1940年)にその年が9月で打ち切られ、グレゴリオ暦(太陽暦)との誤差が修正されたため、現在は西暦との間で日にちのずれがない[111]。, 座標: 北緯13度45分 東経100度29分 / 北緯13.750度 東経100.483度 / 13.750; 100.483 (タイ王国), ชาญวิทย์อาสาล่าชื่อ เปลี่ยนชื่อประเทศจาก ‘ไทย’ เป็น ‘สยาม', 村嶋英治「絶対王政と立憲君主制」/村井吉敬・佐伯奈津子編著『インドネシアを知るための50章』(, 「タイ軍、ラオスに介入 ロンチェン防衛へ 二個大隊を空輸」『朝日新聞』昭和50年(1975年)3月21日夕刊、3版、1面, ただしお互いに政治制度の違いもあって、中国はクーデター事件そのものに対して明らかな対応や意見などは出していない。. 713/ No.715)発音を聞く - Wikipedia日英京都関連文書対訳コーパス, 3-2 Business response to Thai floods - 経済産業省, ピン留めアイコンをクリックすると単語とその意味を画面の右側に残しておくことができます。, Thai State Economic and Social Development Agency, Electronic Dictionary Research and Development Group, All Rights Reserved, Copyright © Japan Science and Technology Agency. 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/20 23:01 UTC 版), 正式名称は、ราชอาณาจักรไทย(タイ語: ラート・チャ・アーナーチャック・タイ)で、ราชは「王」、อาณาจักรは「領土」、ไทยは「タイ」を意味する。現地での通称は、เมืองไทย(タイ語: ムアンタイ)。, 公式の英語表記は、The Kingdom of Thailand、略して Thailand(英語発音: [ˈtaɪlənd] タイランドゥ)。国民、形容詞とも Thai。日本語表記は、タイ王国、通称はタイ。タイランドと称されるもこと多い。漢字で泰(タイ)と表記されることもある。, 1939年までの正式国名は Siam([sàˈjǎːm] サヤーム、英語発音: [saiˈæm] サイアム)。この Siam という語は古くポーナガルのチャム語碑文(1050年)、バガンのビルマ語碑文(1120年)、アンコールワットの刻文(12世紀頃)などに見える Syām という語に原型を見ることができる。歴史学者・言語学者のチット・プーミサックはその著書『タイ族の歴史』[4]で、この語がビルマのシャン族のシャン、インドのアッサムやアーホーム族のアーホームの語源になったとしている。西洋においては Siam とはポルトガル語の Sião, Syão からきた語とされる[5]。また、1592年、ジェームス・ランカスターが最初に Siam という語を用いたとされる[6]。この Siam が正式な国号となるのは1855年英タイ間でボーリング条約が締結されたときであった[6]。, 日本においては、かつて暹羅と記した。『明史』巻三百二十四に見える、暹(せん)という国と羅斛(らこく)という国が合併したからとされる。なお、暹という国はスコータイ、羅斛はラウォー(ロッブリー)とするのがポール・ペリオによる研究以来からの定説であったが[7]、『大徳南海誌』の「諸蕃国」に見える一文「暹国管上水速孤底」という記述があることを理由に山本達郎は暹とはアユタヤではないかとする見解を発表し[8]、これが2002年に石井米雄によりタイの学会に紹介され新たな定説となった[9]。なお「暹羅」の読みについて、1712年刊行の『和漢三才図会』ではこの語にしゃむろ、シヱンロウという読みを与えている。しかし、明治期以降シャムの読みが定着した[5]。また、同時代の外交においては暹羅国と表記された。, このほか、タイを示す「シャム」「暹羅」以外の系統の語として、ビルマ語のヨウダヤー (ယိုးဒယား)があげられる。この語はもともと、シャムを語源とするタイ北方のタイ族を呼ぶ言葉「シャン」とは別に、チャオプラヤー川流域のタイ族、およびタイ南部のタイ族を指し示す言葉で、語源はタイに過去に存在した王朝の名前アヨータヤー(アユッタヤー)であると考えられている[10]。ただし、この言葉はタイに対する蔑称とされる[11]。, 一方、20世紀前半までにシャム/ Siam が国名として定着したが、1939年6月24日、時の首相ピブーンは国名をタイに変更した[12]。これはシャムがチャオプラヤー川流域のタイ族を指す外国からの言葉であり、タイ族の自称である「タイ」に変更するのが適切であったと説明されるが、一方でチャオプラヤー川流域以外のタイ族をも取り込もうとしたピブーンの意図も読み取れる[13]。その後、セーニー内閣時の1945年9月17日にいったん国名はシャムに戻されたが、返り咲いたピブーンにより1949年5月11日、国名がタイに戻された[14]。時は下ってサリット政権時代に、議会で国名にタイがふさわしいかどうか議論がなされたが、結局は国名を維持することになった[5]。しかし現在でも、タイという名前に反対する知識人が見られる[15]。, タイ王国のページの著作権Weblio 辞書情報提供元は参加元一覧にて確認できます。, ビジネス|業界用語|コンピュータ|電車|自動車・バイク|船|工学|建築・不動産|学問文化|生活|ヘルスケア|趣味|スポーツ|生物|食品|人名|方言|辞書・百科事典, たとえばチャーンウィット博士による "Siam not Thailand" の提言などがある。同提言の要約は, ชาญวิทย์อาสาล่าชื่อ เปลี่ยนชื่อประเทศจาก ‘ไทย’ เป็น ‘สยาม', 村嶋英治「絶対王政と立憲君主制」/村井吉敬・佐伯奈津子編著『インドネシアを知るための50章』(, 「タイ軍、ラオスに介入 ロンチェン防衛へ 二個大隊を空輸」『朝日新聞』昭和50年(1975年)3月21日夕刊、3版、1面, ただしお互いに政治制度の違いもあって、中国はクーデター事件そのものに対して明らかな対応や意見などは出していない。. tha, thはどこの国?タイ 国名コード・略称 ... 使われますが、オリンピックやサッカーなどスポーツの試合では独自のコードが使われる国があります。 ... 国名 タイ. “アユタヤ | 【公式】タイ国政府観光庁” (日本語). 2020年6月1日 閲覧。 ^ Great, Narai the Greatนารายณ์มหาราชKing of AyutthayaStatue of Narai the. All Rights Reserved. 「タイ王国」は英語でどう表現する?【対訳】Kingdom of Thailand... - 1000万語以上収録!英訳・英文・英単語の使い分けならWeblio英和・和英辞書 More. タイに限らず、英語を母語としない国の人々は母語のアクセントや発音に幼少期から慣れているため、英語においても同様の特徴が出てしまうことが多くあり、タイ英語の場合には単語やフレーズの尻上がり、語末の”l”が”n”に近い発音、濁音が消えるなどの特徴があります。 世界197ヵ国の国名の「正式名称」と「略称」の日本語・英語がわかるページをつくりました。すべて外務省の公式ホームページ の情報を参照し、わかりやすく一覧にしています。. →タイに行ったことはありますか。 ご質問ありがとうございました。 役に立った; 2 ; Kharina. 在東京タイ王国大使館は、現在領事業務を通常通り行っております。ただし、事前の予約が必要になります。 More. … Copyright © 2020 CJKI. Kingdom of Thailand発音を聞く - Wikipedia日英京都関連文書対訳コーパス, 1932: Thailand発音を聞く - Wikipedia日英京都関連文書対訳コーパス, The Kingdom of Thailand発音を聞く - Wikipedia日英京都関連文書対訳コーパス, See ew (soy-sauce of Thailand)発音を聞く - Wikipedia日英京都関連文書対訳コーパス, State Railway of Thailand (SRT)発音を聞く - Wikipedia日英京都関連文書対訳コーパス, the capital of Thailand, a city called Bangkok発音を聞く - EDR日英対訳辞書, the Kingdom of Thailand, Malaysia, and Indonesia発音を聞く - Wikipedia日英京都関連文書対訳コーパス, (a country of southeastern Asia that extends southward along the Isthmus of Kra to the Malay Peninsula), Bangkok in the Kingdom of Thailand (Kaikyo Sodo Hall)発音を聞く - Wikipedia日英京都関連文書対訳コーパス, For this reason, Namacha produced for the Kingdom of Thailand contains sugar.発音を聞く - Wikipedia日英京都関連文書対訳コーパス, A Thai rice porridge seasoned with egg and ginger.発音を聞く - Wikipedia日英京都関連文書対訳コーパス, 2005: Thailand, Singapore, Australia and Canada added.発音を聞く - Wikipedia日英京都関連文書対訳コーパス, The Emperor has close friendships with the Kingdom of Thailand and the Royal Family of Bhutan.発音を聞く - Wikipedia日英京都関連文書対訳コーパス, Siam was the Ayutthaya Kingdom of Thailand kingdom.発音を聞く - Wikipedia日英京都関連文書対訳コーパス, In May 1998, he won the Order of the Direkgunabhorn, Kingdom of Thailand.発音を聞く - Wikipedia日英京都関連文書対訳コーパス, Kingdom of Thailand (It is related to the custom of biting betel plant and betel palm together. タイ王国 ราชอาณาจักรไทย (国旗) (国章) 国の標語:なし 国歌:เพลงชาติไทย(タイ語) タイ国歌王室歌:สรรเสริญพระบารมี(タイ語) 国王賛歌 公用語 タイ語 首都 バンコク都 最大の都市 バンコク 政府 国王 ラーマ10世 首相 プラユット・チャンオチャ 面積 総計 513,120km (50位) 水面積率 0.4% 人口 総計(2016年) 68,863,514人(20位) 人口密度 132.1人/km GDP(自国通貨表示) 合計(2017年) 15兆4501億 バーツ GDP(MER) 合計(2017年) 4557億 ドル(25位) GDP(PPP) 合計(2017年) 1兆…

Copyright © 2020 Cross Language Inc. All Right Reserved. Copyright(C)2002-2020 National Institute of Information and Communications Technology. “Narai (King of Siam, 1656-1688) (The Diary of Samuel Pepys)” (英語). สถิติการบล็อคเว็บไซต์เพิ่มสูงขึ้นกว่า 500 เปอร์เซ็นต์ ตั้งแต่เกิดรัฐประหาร!

DMM英会話講師. “Narai (King of Siam, 1656-1688) (The Diary of Samuel Pepys)” (英語). 在東京タイ王国大使館 領事業務体制と新型コロナウィルス感染対策に関するお知らせ.

「タイの日本料理店市場、60億バーツ規模に=シンクタンク予測」newsclip(2007年4月21日付配信), "ความเป็นมาของคำสยาม ไทย, ลาว และขอม และลักษณะทางสังคมของชื่อชนชาติ," จิตร, World Economic Outlook Database, October 2018, https://books.google.co.th/books?id=-ifNH4uK0LAC&pg=PA355&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false, History of Ayutthaya - Foreign Settlements - Portuguese Settlement, https://books.google.co.th/books?id=GHiuDgAAQBAJ&lpg=PP1&pg=PA27&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false, Narai (King of Siam, 1656-1688) (The Diary of Samuel Pepys), Historia de Tailandia ▷ El Reino de Siam ▷ DeTailandia.com ®, https://doi.org/10.1007/978-1-349-16521-6_40, King Chulalongkorn Day | Royal Thai Embassy, Royal welcome: How Thailand’s Rama V was received in St. Petersburg, https://www.nikkei.com/article/DGXLASGM06H8O_W7A400C1FF1000/, http://www.nishinippon.co.jp/nnp/world/reporterseye/bangkok/20060406/20060406_0001.shtml, https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2017-10-11/OXMWFJ6S972P01, http://www.newsclip.be/article/2013/10/27/19535.html, The Tale of Yamada Nagamasa - The Samurai of Ayutthaya, https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000371030.pdf”.+(2018年1月1日), Report for Selected Countries and Subjects, Thailand's progress in agriculture: Transition and sustained productivity growth, タイで「野菜を育てる」運動/コロナ禍 経済危機乗り切ろう/1200万世帯 自給力実感, 2013年度の報告書 タイの将来の発電事情と日本企業の事業機会 が完成しました。| APIR 一般財団法人アジア太平洋研究所, タイ国・ノンセンガス火力発電所 1号系列の営業運転開始について~当社のタイ国最大のIPP発電所が運転開始、持分出力530万kW超に~, International Telecommunication Union - BDT, https://www.asahi.com/articles/ASL886WSNL88UHBI01P.html, タイ、64人に1人がHIV感染か | newsclip (ニュース、社会のニュース), http://www.newsclip.be/news/2012405_034125.html, Kingdom Of Champions | ONEチャンピオンシップ - イベント, ONE Championship: Kingdom of Champions | MMA Event, 【躍進するタイのゴルフ】ランクン、ジュタヌガン、マークセン…。世界基準コース、サポート体制、世界を席巻する強さの秘密, “Cambodia And Its Neighbors In The 15th Century”, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=タイ王国&oldid=80527383. また、正しい発音を身につけるために、国名に「Oxford Learners Dictionaries」の外部リンクを貼りつけました。 アメリカ合衆国 . ^ タイ国政府観光庁. タイ王国(タイおうこく、タイ語: ราชอาณาจักรไทย Ratcha Anachak Thai [râːt.tɕʰā ʔāːnāːtɕàk tʰāj])、通称タイ(タイ語: ประเทศไทย Prathet Thai [pràtʰêːt tʰaj] ( 音声ファイル))は、東南アジアに位置する立憲君主制国家。首都はバンコク都。東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国、通貨はバーツ、人口6,891万人(2017年、タイ国勢調査による)である。, 国土は、インドシナ半島中央部とマレー半島北半を占める。南はマレーシア、東はカンボジア、北はラオス、西はミャンマー(旧国名ビルマ)と国境を接する。東南側はタイランド湾に面する。マレー半島中部では西にアンダマン海及びマラッカ海峡があり、それらを挟んでインドネシアやインド領アンダマン・ニコバル諸島に向かい合う。, 2014年にプラユット将軍率いる国軍が軍事クーデターを起こし、従来の憲法(2007年憲法)と議会を廃止して実権を掌握して以降、軍事独裁政権が継続している[3]。, 正式名称は、ราชอาณาจักรไทย(タイ語: ラート・チャ・アーナーチャック・タイ)で、ราชは「王」、อาณาจักรは「領土」、ไทยは「タイ」を意味する。現地での通称は、เมืองไทย(タイ語: ムアンタイ)。, 公式の英語表記は、The Kingdom of Thailand、略して Thailand(英語発音: [ˈtaɪlənd] タイランドゥ)。国民、形容詞とも Thai。日本語表記は、タイ王国、通称はタイ。タイランドと称されるもこと多い。漢字で泰(タイ)と表記されることもある。, 1939年までの正式国名は Siam([sàˈjǎːm] サヤーム、英語発音: [saiˈæm] サイアム)。この Siam という語は古くポーナガルのチャム語碑文(1050年)、バガンのビルマ語碑文(1120年)、アンコールワットの刻文(12世紀頃)などに見える Syām という語に原型を見ることができる。歴史学者・言語学者のチット・プーミサックはその著書『タイ族の歴史』[4]で、この語がビルマのシャン族のシャン、インドのアッサムやアーホーム族のアーホームの語源になったとしている。西洋においては Siam とはポルトガル語の Sião, Syão からきた語とされる[5]。また、1592年、ジェームス・ランカスターが最初に Siam という語を用いたとされる[6]。この Siam が正式な国号となるのは1855年英タイ間でボーリング条約が締結されたときであった[6]。, 日本においては、かつて暹羅と記した。『明史』巻三百二十四に見える、暹(せん)という国と羅斛(らこく)という国が合併したからとされる。なお、暹という国はスコータイ、羅斛はラウォー(ロッブリー)とするのがポール・ペリオによる研究以来からの定説であったが[7]、『大徳南海誌』の「諸蕃国」に見える一文「暹国管上水速孤底」という記述があることを理由に山本達郎は暹とはアユタヤではないかとする見解を発表し[8]、これが2002年に石井米雄によりタイの学会に紹介され新たな定説となった[9]。なお「暹羅」の読みについて、1712年刊行の『和漢三才図会』ではこの語にしゃむろ、シヱンロウという読みを与えている。しかし、明治期以降シャムの読みが定着した[5]。また、同時代の外交においては暹羅国と表記された。, このほか、タイを示す「シャム」「暹羅」以外の系統の語として、ビルマ語のヨウダヤー (ယိုးဒယား)があげられる。この語はもともと、シャムを語源とするタイ北方のタイ族を呼ぶ言葉「シャン」とは別に、チャオプラヤー川流域のタイ族、およびタイ南部のタイ族を指し示す言葉で、語源はタイに過去に存在した王朝の名前アヨータヤー(アユッタヤー)であると考えられている[10]。ただし、この言葉はタイに対する蔑称とされる[11]。, 一方、20世紀前半までにシャム/ Siam が国名として定着したが、1939年6月24日、時の首相ピブーンは国名をタイに変更した[12]。これはシャムがチャオプラヤー川流域のタイ族を指す外国からの言葉であり、タイ族の自称である「タイ」に変更するのが適切であったと説明されるが、一方でチャオプラヤー川流域以外のタイ族をも取り込もうとしたピブーンの意図も読み取れる[13]。その後、セーニー内閣時の1945年9月17日にいったん国名はシャムに戻されたが、返り咲いたピブーンにより1949年5月11日、国名がタイに戻された[14]。時は下ってサリット政権時代に、議会で国名にタイがふさわしいかどうか議論がなされたが、結局は国名を維持することになった[5]。しかし現在でも、タイという名前に反対する知識人が見られる[15]。, タイの民族国家成立以前、中国華南に住んでいたタイ民族は、インドシナ半島を南下して現在のタイの位置に定住するようになった[16]。当時、タイには、モン族、クメール人等が先住していた[17]。, 13世紀初頭にクメール帝国と異教の王国が衰退した後、様々な州がその場所で繁栄した。タイ人の領域は、現在のインドの北東部から現在のラオスの北部およびマレー半島に存在していた。13世紀の間、タイ人の人々は既に中核となる土地に定住していた。ドヴァーラヴァティー王国とラヴォ王国から南のナコンシータマラートへ。しかし、タイの到着を詳述した記録はない[18]。, 1240年頃、地元のタイの統治者であるフォークンバンクランハオは、クメールに抗議するために人々を結集した。その後、1238年にスコータイ王国の最初の王となった[19]。タイの主流歴史家は、スコータイをタイの最初の王国と見なしている。スコータイはラームカムヘーンの治世中(1279年頃-1299年頃)、さらに拡大した。しかし、それは主にスコータイへの忠誠を誓った地元の領主のネットワークであり、スコータイに直接支配されていなかった。スコータイはマハタマラチャ1世(1347〜1368年)の統治下で上座部仏教を採用した[20]。, アユタヤ王朝の起源は、最も広く受け入れられている説によると、最初の王としてウトン(ラーマーティボーディー1世)を持ち、以前の近くのラヴォ王国とスワンナプームから勃興した。アユタヤは、マンダラ体制下のアユタヤ王への忠誠による自治公国と支流州のパッチワークであった[21]。最初の領土拡大は征服と政略結婚によるものであった。15世紀の終わりまでにアユタヤはクメール王朝を3回侵略し、首都アンコールを襲撃した[22]。その後、アユタヤはクメールの代わりに地域の大国となった。スコータイ王朝は、絶え間ない干渉により事実上アユタヤの属国となり、ついに王国に組み込まれた。ボーロマトライローカナート、20世紀まで続いた官僚制改革をもたらし、サクディナと呼ばれる社会階層のシステムを構築した[23]。アユタヤはマレー半島に興味を持っていたが、中国の明王朝によって支持されたマラッカ王国のスルタンを征服することに失敗した[24]。, ヨーロッパの接触と貿易は16世紀初頭に始まり、1511年にポルトガルの公爵であるアフォンソ・デ・アルブケルケの特使が来訪して同盟国となり、一部の兵士をラーマーティボーディー2世王に譲渡した[25]。17世紀には、ポルトガルにフランス、オランダ、イギリスが続いた。チェンマイとモン族の覇権をめぐる競合関係は、アユタヤとビルマ王国(タウングー朝)の泰緬戦争を招いた。この戦争はタウングー王朝のタビンシュエーティー王と副王バインナウン治世下の1540年代に始まり、最終的には1570年のアユタヤ占領で終わった[26]。泰緬戦争(1563-64年)でのアユタヤ包囲の間に、タウングー王朝のバインナウンはピサヌロークとアユタヤをとり、アユタヤをビルマの属国にした。彼は、マハータンマラーチャーティラート王の忠実さを保証するために、その息子ナレースワンを人質としてバゴーに送ることを要求した。アユタヤ王国は短期ながらビルマの支配下となり、その後、ナレースワン大王が1584年に独立回復を宣言した。, アユタヤはその後、歴代の統治のためにヨーロッパの大国との関係を改善しようとした。王国は、ナーラーイの治世中(1656〜1688年)、中国やインドと並んでアユタヤがアジアの大国と見なされたときに繁栄した[27][28]。しかし、彼の統治の後半にフランスの影響力が高まったことは、民族主義者の反発を招き、最終的に1688年のシャム革命につながった[29]。, 血統の激しい闘争の後、アユタヤは、黄金時代と呼ばれる時代に入った。芸術、文学、学習が栄えた18世紀の第2四半期は、比較的平和だった。1715年頃からカンボジアを統治するためのグエン領主との紛争は別として、対外戦争はめったになかった。王国は最後の50年間、血統の危機に直面した。1765年、ビルマ軍の合計4万人の強力な部隊が北部と西部から侵攻した[30]。ビルマは新しいアラウンパヤー王朝の下にあり、1759年までに新しい地域大国になった。14か月の包囲の後、首都の壁が破られ、1767年4月に都市は焼失した。, ラッタナコーシン時代は、バンコクに首都を設けたチャクリー王朝のラーマ1世の治世中に1782年に始まる。ラーマ1世は、前任者のタークシンによって設立されたトンブリーの首都(トンブリー王朝)を移転し、新しい首都バンコクを建設した。首都建設前の最初の数年間、彼は宮殿と王室礼拝堂の建設を監督した。エメラルド仏が奉献されたロイヤルチャペルまたはワットプラケオは、彼の王宮の敷地内にある。新しい首都の完成に伴い、ラーマ1世は新しい首都を命名する式典を開催した[31][32]。, 19世紀後半、東南アジアは西洋諸国による植民地化時代を迎えた。西洋の脅威を認めたラーマ4世(1851-1868年)の宮廷はイギリス政府と連絡を取り、緊張緩和を図った。香港総督ジョン・ボウリングが率いるイギリス使節団と、西洋諸国との多くの不平等条約の最初であるボーリング条約を結んだ。これは不平等条約ではあったが、バンコクに商業的および経済的発展をもたらした。ラーマ4世はマラリアで急死し、チュラーロンコーン王子が即位した[33][34](ラーマ5世)。, ラーマ5世あるいはチュラーロンコーン大王(在位1868-1910年)は即位するとすぐに欧米を視察してタイの立ち後れを実感し、チャクリー改革と呼ばれる数々の改革を行った。当時、ビルマとマレーシアはイギリスに、ベトナムはフランスに、それぞれ占領されていた。シャムも狙われていたが、ラーマ5世はイギリスにマレー半島の一部を割譲し、フランスにはラオスとカンボジアを割譲する事で、独立を保った。この背景には、ラーマ5世によってある程度近代化されていたシャムをあからさまに占領するのは問題があったことや、シャムを緩衝地帯として独立させておくことが望ましいと考えた英仏両国の事情などがあった[35]。, 19世紀の終わりに、シャムの王は、シャムにとって危険であったフランスとの紛争を解決し、ロシア帝国との外交関係を確立してロシアの支援を得ることを目指した[36]。, ラーマ6世(ワチラーウット、1910年即位~1925年11月没)が王位を継承すると絶対王制への批判が生じ始めた。新王の個人的資質に関する王族や官僚からの批判、王権を制限する憲法が存在しないという政治体制への批判までを含んでいた[37]、1912年3月初め、立憲制・共和制を望むタイ王国陸軍青年将校らによるクーデター計画が発覚し、100名以上が逮捕された。青年将校らは、国の資源が国王の私的享楽に浪費されるために国家建設が遅々として進まず、諸外国(英仏)に侵略されていくと憂いた。最初の立憲革命計画で、1932年の人民党による立憲革命の成功へとつながった[37]。すなわちラーマ7世(弟のプラーチャーティポック)即位後の1932年、プリーディー・パノムヨンやプレーク・ピブーンソンクラームら官吏によって結成された人民党によるクーデターが勃発し、絶対君主制から立憲君主制へと移行したのである(民主革命、立憲革命と呼ばれる)[38]。, 第二次世界大戦でフランスがナチス・ドイツに降伏した後の1940年11月23日、タイは南部仏印に侵攻し、タイ・フランス領インドシナ紛争を引き起こした。1941年5月8日に日本の仲介によって東京条約を、フランスのヴィシー政権と締結して領土を拡大した。太平洋戦争が勃発すると日本軍はタイへ進駐し(タイ王国進駐)、タイは表面上日本と日泰攻守同盟を結び枢軸国として戦った[39]。タイは東南アジア戦線(マレー作戦、ビルマの戦い)では日本に積極的に協力しており、現地軍の速やかな進軍を助け、兵站、補給など重要な役割を担当している。一方で駐米大使セーニー・プラーモート、摂政プリーディー・パノムヨンらが「自由タイ運動」などの連合国と協力する勢力も存在し、連合国と連絡を取っていた[40]。こうした二重外交により、タイは1945年、1940年以降に獲得した領地を返還することでイギリスとアメリカとの間で講和することができ、降伏や占領を免れた[41]。こうした経緯もあって国際連合にも1946年12月16日という早い段階で加盟しており、いわゆる敵国条項の対象ともされていない。大戦終結後、1946年6月9日に 国王ラーマ8世は王宮内で他殺体となって発見されたが、真相は究明されず、弟のラーマ9世が即位した。, 第二次世界大戦後のアジアでは、社会主義国家のベトナム民主共和国(1945年~)、中華人民共和国(1949年~)が相次ぎ成立。インドシナ半島では東西の冷戦にとどまらず、第一次インドシナ戦争、ベトナム戦争とそれに連動するラオス内戦、カンボジア内戦と戦乱が続き、タイも共産主義化に脅かされた[42]。特に、ラオス内戦では1970年から軍事介入を開始。北ベトナム軍との激しい交戦により死者を出しつつも、タイ国内への影響を最小限に抑え込んだ[43]。

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