415-489。, 小嶋和夫「時・とき・場合」『やさしい法令の見方・読み方』公務職員研修協会、改訂版 1982年7月10日、pp. 先日、必要があって住民票を取りました。もちろん数年前から自治体もIT化されてますから、印刷されたものを受け取りました。その時「あれっ?」と思ったのは、なんだか印字が上品なんです。使われている書体は明朝体です。でも、家のプ 196-199。, 伊坂裕次・木村龍司編『文章表現ハンドブック』笠間書院、第10版 2005年3月30日、pp. Word2013文字数と行数の指定の「標準の文字数を使う」の文字数、行数は何文字ですか?「文字数と行数の指定」で40字、40行と指定したのとどう違うのですか? 余白:上下左右20㎜フォント:MS明朝サ … 62-66。, 「読点」法制執務研究会『図説法制執務入門』ぎょうせい、新訂 2000年(平成12年)2月1日、pp. 24-29。, 「戦後国語施策の流れ」文化庁編『国語施策百年史』ぎょうせい、2006年1月20日、pp. 242-250。, 岩波書店辞典編集部編『岩波 現代用字辞典』岩波書店、第1版1981年6月20日、第四版1999年12月3日。, 武部良明編『現代国語表記辞典』三省堂、初版1985年9月1日、第2版1992年9月1日。, 講談社校閲局編『日本語の正しい表記と用語の辞典』講談社、初版1983年5月10日、第2版1992年11月20日。, JIS Z 8303:2008『帳票の設計基準』「6 用字及び用語」日本規格協会、p. 21-24。, 大島孝「若干の都市における事務改善の概況-下-」地方自治制度研究会編『地方自治』第143号、1959年(昭和34年)11月、pp. 72-73。, 文化庁「国語政策に関わる審議会等名簿」『国語施策百年史』ぎょうせい、2006年1月20日、pp. 余白や文字数、行数を指定すると、Wordの文書をより美しく、より読みやすいレイアウトにすることができます。この記事では、余白は1行の文字数、1ページの行数を指定する方法や、うまくいかない時の対処法を紹介しています。 公文書管理法第4条では、行政文書の作成義務について規定されています。 具体的には、「行政機関の職員は、法第1条の目的の達成に資するため、当該行政機関における経緯も含めた意思決定に至る過程並びに当該行政機関の事務及び事業の実績を合理的に跡付け、又は検証することができるよう、処理に係る事案が軽微なものである場合を除き、文書を作成しなければならない」とされています。 また、法第4条第1号から第5号までには、作成しなければならない文書の例示として、以下を列挙してい … 公の証拠力を生じる公の認識の表示である点で公の判断の表示である確認行為と異なる。 (2) 付款 行政庁は、法令が付款を付けることを認めた場合及び法令が行政庁に裁量権の行使を許容する場合に、行政目的の達成上必要な最小限度において、付款を付けることができる。 このように使い分けてください。 ※ちなみにHGSなどのSは、半角文字のみPと同じ幅になります。 本当になぜ6月は祝日がないの……そんな絶望を小脇に抱えつつ、本日はWordで作るビジネス文書のポイントをご紹介します。, 【こちらもおすすめ】 余白や文字数、行数を指定すると、Wordの文書をより美しく、より読みやすいレイアウトにすることができます。この記事では、余白は1行の文字数、1ページの行数を指定する方法や、うまくいかない時の対処法を紹介しています。 本日はWordで作るビジネス文書のポイントをご紹介します。MSフォントとMSPフォントの使い所や、FAX送信状は自社名を一番下にするなどの豆知識をまとめました。 これらの文書には、左横書きの利点として以下のような点があげられているものの、このような理由が客観的に成立しているとは言い難いとする見方もある[75]。, この後も、1964年(昭和39年)9月の臨時行政調査会答申「事務運営の改善に関する意見」、1965年(昭和40年)5月7日閣議決定「行政事務運営の改善について」、1972年(昭和47年)8月26日付け各省庁官房長宛行政管理局長通知、1972年(昭和47年)8月29日の閣議における行政管理局長の発言等において、くり返し「公文書の左横書きを促進するよう」との指示が発出されている[76]。, その後各省庁は以下のように次々と文書を横書き化していった[77]。1957年(昭和32年)7月1日に建設省が横書き化を実施した時点で、横書き化を実施した中央省庁が半数に達したとされている[78]。, また地方自治体は東京都のように1950年(昭和25年)4月に導入したところもあったものの[81]、多くの地方自治体は、自治庁(後の自治省→総務省)が「文書の左横書きの実施に関する訓令」(1959年(昭和34年)11月21日自治庁訓令第6号)によって1960年(昭和35年)1月1日から文書の左横書き化を実施した[82]のに続いて以下のように昭和30年代後半から昭和40年代にかけて次々と公文書の横書き化を実施していった[83]。, その後横書き化を導入する動きは一時停滞していたが、1980年代に入ってから国際化の圧力があったり、ワープロ・パソコンの普及によって縦書き文書と比べて横書き文書の作成が容易になったことなどから、それまで公文書の縦書きを維持してきた官庁においても横書きを導入する動きが再度活発になり、1992年(平成4年)6月19日に臨時行政改革推進審議会から出された「国際化対応・国民生活重視の行政改革に関する第三次答申」に基づいて定められた、1992年(平成4年)11月30日の各省庁事務連絡会議申し合わせ「行政文書の用紙規格のA判化に係る実施方針について」に基づいて1993年(平成5年)4月から各省庁で順次実施されはじめた公文書のA4判化の導入と同時に実施した官庁もあった[172]。横書き化の実施時期の遅かった裁判所も、2001年(平成13年)1月1日からはすべての文書で横書きが用いられることとなり、司法試験(論文式)の答案も同年から横書きに変更されている。さらに登記申請書関係についても不動産登記法の2005年(平成17年)3月7日から施行された全面改正(平成16年6月18日法律第123号)に伴い平成16年9月27日付法務省民事2課通達「登記申請書のA4横書きの標準化について」 により2004年(平成16年)11月1日から実施された。, 地方自治体においても、法令文(条例、規則など)や表彰状など一部のものを除いて大部分の公文書を横書きにするところが増えてきた[173]。このように、省庁ごと・分野ごとに実施時期にはかなりの差異があるものの、一般の公文書については横書き化はかなり広まってきた。, しかし、法令、法案、および国会での決議と決議案などは未だに縦書きのままであり、横書き化の予定もない(2012年(平成24年)10月現在)(但し予算については1947年(昭和22年)3月に議院に提出された昭和22年度一般会計予算から、決算についても昭和22年度一般会計予算及び特別会計予算から左横書き化されている[174])。したがって、一般の公文書の横書き化を行った官庁においても全面的な横書き化を実施することができず、縦書きの文書と横書きの文書とが混在してしまっている。ただし、本文は縦書きの法令の中にも、数字を多く含む部分や数式を含む部分を別表などの形で本文から切り分け、その部分だけを横書きにするといったことは古くから行われているほか、様式が法令で定められているときに様式だけを横書き化するように改正されることもしばしば行われるようになってきた。このような本体から切り分けた別表や書式を「告示」などの形で形式的に独立したものにすることもあり、その結果告示については全体が横書きになっているものもすでにいくつかある[175]。, 日本語の左横書き化については、文部省などがさまざまな機会にそのメリットを強調してきた一方で、国語学者など[誰? 38-43。, 「符号の用い方」大島満編『地方公務員の公用文の作成要領』学陽書房、1986年(昭和61年)4月30日、pp. 50条 商号を登記するには,ローマ字その他の符号で法務大臣の指定するものを用いることができる。 2 前項の指定は,告示してしなければならない。 ビジネス文書のフォントについてお尋ねします。私は前の仕事が官庁向の書類作成が主だったため、書類作成には明朝体を使っていました。今の仕事場の書類は丸ゴシックが主です。自分の中には「丸ゴシック=気持ち遊び感覚?」という感覚が 78-79。, 文部省編「横書きの場合の書き方」『文部省刊行物表記の基準』付録、1950年(昭和25年)12月(後に『国語の書き表し方』に改題)。, 文化庁『言葉に関する問答集総集編』大蔵省印刷局、1995年(平成7年)3月31日、pp. 履歴書との違い、職務経歴書の項目などの基本から、採用担当者が会いたくなる書き方、状況に合わせた記載方法、NGポイントなどの工夫まで!職務経歴書の書き方を完全ガイドします。, 就職や転職のときにしか書くことのない履歴書の封筒。選考を受けるタイミングになってから封筒の…, 少し前までは履歴書は文房具店などで購入して記入…というのが一般的でしたが、最近はWeb上で…, 転職活動において必ず作成する履歴書や職務経歴書。決まった書式やフォーマットを設けている企業…, 職務経歴書は手書きとパソコン、どちらで作成したほうがよいのでしょうか。迷っている方は、ぜひ…, ここでは、英語力が活かせる仕事に転職するために必須の「英文による職務経歴書の書き方」につい…, 「履歴書は書いたことがあるけど、職務経歴書って何を書けばいいの?」。 転職活動をはじめたば…, 「気になる求人に応募したいが、まだ履歴書を作っていない」「市販の履歴書を買ったが、免許・資…, たとえば、「これまでIT系の企業で、エンジニアとして働いてきたけど、職務経歴書に書くと枚数…, 「履歴書って書き方にルールはあるの?」 転職活動をはじめたばかりの人であれば、「履歴書」に…, 「履歴書と職務経歴書って何が違うの?」「職務経歴書って、何をどうやって書けばいいのか分から…, 職務経歴書・履歴書をPCで作成する際の、オススメフォントをご紹介します。職務経歴書・履歴書を自作する際に、「どんなフォントがいいのか」「文字サイズは?」など不明点も多いはず。職務経歴書・履歴書を自作する人にオススメフォントとサイズをNG例も交えてご紹介します。, 人材ビジネスに約20年従事。転職コンサルタントとして、求職者の転職支援を行っています。企業側への採用コンサル経験もあり、企業から評価を受けやすいキャリアの伝え方・レジュメの書き方に精通。アドバイスに強みがあります。, 【履歴書】パソコン作成と手書きどちらにすべき?と悩んだ時のポイント(テンプレあり), 職務経歴書は手書きとパソコン(Word等)とどちらが良い?テンプレートのダウンロードあり!, アルバイト経験のみの場合の職務経歴書「職歴欄」 の 書き方・ポイント【見本・例文あり】, 自己都合退職、会社都合退職の違い|知らぬは損?それぞれの退職メリット・デメリットとは?, 『転職大辞典』は、日本最大級の転職サイト『エン転職』が提供する、転職ノウハウ集です。転職を思い立ったけれど、「何からやっていいかわからない」「こんなこと人に相談できない」と困ってしまうことは多いもの。『職務経歴書の書き方』『自己PRの方法』『人事担当・面接官とのやり取り』『転職先で活躍するために』など、転職活動を上手に進めるコツや抑えておきたいポイントをお届けします。, 職務経歴書・履歴書|おすすめフォントを解説!読みやすいフォント・文字サイズの選び方, エン・ジャパンが総力を挙げて取り組む、人材採用・活躍支援プロジェクトの紹介ページ。, 日本最大級の転職・求人情報サイト。エンの社員が100%独自取材した転職・求人情報満載!, エンジニア向けWebメディア『エンジニアHub』から派生したエンジニア専門求人サイト。, 「エン転職」、「[en]派遣のお仕事情報」等、エンの求人を、職種・雇用形態・年収など様々な条件で検索!, 年間5,000万ユーザーが利用。会社の口コミや年収・残業時間などが、すべて無料で閲覧出来ます。, 日本No.1のインターン掲載数!大学生向け長期実践型の有給インターンシップ求人サイト。. はじめて転職する人にとって、職務経歴書・履歴書の書き方は悩みの種ですよね。特に、フリーフォーマットの職務経歴書の作成に際しては「文字のフォント・サイズ選び」に疑問を感じている人も少なくないと思います。このページでは、フォント・サイズ選びのポイントから職務経歴書のデザイン作法まで丁寧にご紹介。クオリティの高い職務経歴書・履歴書づくりをサポートします。, ひとくちにフォントといっても、パソコンに標準搭載されているフォントもあれば、市販されているオシャレなフォントもあります。一見すると、オシャレなフォントは目にとまりやすく、「選考に有利かも?」と感じるかもしれませんが、逆効果です。, 職務経歴書・履歴書は、企業に提出するオフィシャルな書類です。それだけに、ビジネスシーンにそぐわないフォントよりも、パソコンに標準搭載されている一般的なフォントを使うほうが好ましいといえます。具体的には以下のようなフォントです。, 【明朝体】MS明朝(Windows)、ヒラギノ明朝(Mac) 返信の必要なお問い合わせはこちら, 株式会社LIG TEL : 03-6240-1253111-0056 東京都台東区小島2-20-11LIGビル 1F受付. 41-42。, 土屋道雄「法令文の改善-大正時代の国語国字問題」『国語問題論争史』玉川大学出版部、, 安田敏明「国民の国語運動連盟」『国語の近代史 帝国日本と国語学者たち』中公新書1875、中央公論社、2006年12月20日、pp. 347-348。, 林修三「『場合』と『時』と『とき』」『法令用語の常識』セミナー叢書、日本評論社、第3版 1975年5月20日、pp. 103-112。, 「国字改良ノ順序トシテ左横書ノ実行ニ就テ」、「日本片仮名及平仮名ノ縦列式ト横列式ノ場合ニ於ケル読ミ書キノ難易」、「国字ノ縦書キ横書キニ関スル小実験」、「仮名文字ノ縦書キト横書キニ就テ」、「縦書キト横書キノ場合ニ於ケル文字ノ連絡」、「横書縦書及活字ノ大サニ就テ」、「縦書横書ニ関スル小実験」、「石原式横書キ片仮名文字ニ就テ」など。いずれも『『日本眼科学会雑誌』第32巻第5号別刷 国字ニ関スル眼科学的研究講演録』日本眼科学会、1928年(昭和3年)に所収。, 小池民男「第4章 新聞と漢字 7 人名表記の扱い」『漢字と社会』朝倉漢字講座4、朝倉書店、2005年(平成17年)10月20日、pp. ¨ã€, (著:伊藤章雄、発行:株式会社ぎょうせい), 「○○○○のため○○○審議会(委員会)を, (1) 「及び」も「並びに」も、ともに前の語句と後の語句とが並列の関係にあることを表す接続詞である。, (2) 二つ以上の語句を単純に並列的に並べるときは、最後の語句の前に「及び」を入れる。, ・ 地方公共団体は、普通地方公共団体, ・ 特別地方公共団体は、特別区、地方公共団体の組合、財産区, ・ 当事者又は参加人は、聴聞の期日に出頭して、意見を述べ、, × ○○フェスティバルを9月1日, (2) 「より」は、比較を示す場所に, (1) 「又は」も「若しくは」も、ともに前の語句と後の語句とを選択的に結び付ける接続詞である。, (2) 通常、二つ以上の語句を選択的に並べるときは、最後の語句の前に「又は」を入れる。, 佐伯市乳幼児医療費の助成に関する条例, 佐伯市条例の廃止に関する条例, 佐伯市認可地縁団体の印鑑の登録及び証明に関する条例. 376-393。, 法制執務研究会編『ワークブック法制執務』ぎょうせい、2007年12月10日、pp. 308-310。, 石毛正純「条例・規則の用字・用語」『新版法制執務詳解』ぎょうせい、2008年4月25日、pp. 公用文作成の要領(こうようぶんさくせいのようりょう、昭和27年4月4日内閣閣甲第16号)とは、公用文の表記の改善を目的として1952年(昭和27年)4月4日に内閣が内閣閣甲第16号として各省庁の次官宛に発出した通達(指示文書)である。, 公用文作成の要領は、1952年(昭和27年)4月4日付け内閣閣甲第16号各省庁次官宛内閣官房長官依命通知として作成され、全官庁に対して発出された通達である(以降では本通達と呼ぶ)。初めは、1951年(昭和26年)10月30日付け文調国第369号「公用文改善の趣旨徹底について」の別冊2として作成された[注釈 1]。昭和20年代に行われたさまざまな国語改革政策の一環として、また政治・行政の民主化の一環として、さまざまな公文書を「官庁自身や一部の専門家のためのもの」から「広く国民全般のためのもの」に改めることを目的としていた。, ほかの通常の通達と同様に、通常の法令や告示とは異なって官報に掲載されることもなかったが、文化庁編集の『公用文の書き表し方の基準 資料集』[1]をはじめとする数多くの市販の書籍に収録され、一般に公開されている。文化庁の次のホームページに全文が記載されている。, 日本では中国から律令制をとりいれて以来、律令を代表とする法令や六国史を代表とする国史などの国が作る正式な文書で使用する文字は真名(漢字)であるとされてきた[2][3][4]。平安時代に成立したかな文字はあくまで女子供の使う文字であり、漢字とともにかな文字が使用される漢字かな交じり文はあくまで私的な場面や非公式の場面でのみ使うべきものであって正式な場面で使うべきものではないとされてきた[5]。但しこれらの日本の公式文書で使われていた漢文には中国で使われていた正式な漢文と比べると若干異なる日本独自の習慣も存在する(これらは和臭、和習、倭臭、倭習などと呼ばれ、すでに日本書紀等にも見ることができる[6])ことから、変体漢文、記録体、疑似漢文・国風漢文・漢文体等と呼ばれることもあった[7]。中世(鎌倉時代から戦国時代)に入ると、律令体制が崩れていったことなどに伴い漢文の修養を十分に受けることができなかった者が法令を書くことがあったり、一般庶民に周知されることを重視した御触書などの一部の法令には漢字仮名交じり文が使用されるなど若干崩れてきた面はあった[8]。近世(江戸時代)に入ると儒学(朱子学)を代表とする漢文を重要視する学問の隆盛に伴って、再び法令をはじめとする正式な公用の文章はあくまで漢文であるとされてきた[9]。, 明治新政府により法制度の中身が中国に由来する律令制から西洋に由来する近代法制に大きく変わたのに伴い、法令の表記も漢文から漢字かな交じり文に大きく変わっていった[10]。この改革は、明治政府の中枢に漢文の十分な教育を受ける機会の無かった薩摩や長州の下層階級の武士達が数多く入ってきたことと関連しているとされることもあるが、前島密による漢字御廃止之議など、幕末から明治にかけて唱えられた国語改革も公用文の改革を主要な対象として考えていたと見られ、明治政府の行った法令文の表記改革もそれらの影響をうけているとする見解もある[11]。ところが、江戸時代から明治時代にかけては社会の変化、さらには言文一致運動などの影響もあって、一般社会で通常使用される日本語がどんどん変わっていくことになった。そのために、漢文からは大きく変わった漢文訓読体と呼ばれる当時の公用文の文体も、知識階級の人々によって書き言葉としては一般社会でもそれなりに使われてはいたものの、当時の一般の人々が日常使う話し言葉や書き言葉と比べると、漢文臭の非常に強い読みにくいものであった。そのため、法令や公用文の文体をさらに分かりやすいものに改めて行かなければならないとする動きは何度か起こっていた。明治民法典の起草者の1人であり「日本民法の父」と称された穂積陳重は、その著書『法典論』の中で、法典の文体について、おそらくは当時としては主流であったと考えられる「教養の無い一般大衆が容易に理解できるようなやさしい文体の法令は、法令としての威厳を損なうものである。」といった考え方を批判する形で近代的な法治主義と関連付けて「法典の文体は専門家だけが理解できるものであってはならず、一般大衆が理解できるものでなければならない」という主張を展開している[12]。, 戦前にさまざまに検討された漢字制限論も歴史や伝統を重んじる保守的傾向の人々からの抵抗が強かったが、公用文を対象にする場合にはさらに、天皇や皇室に関連する言葉の言い換えが重要な問題になった。これらの言葉を別の漢字や仮名に言い換えることについての抵抗が強く、中でも「不磨の大典」とされた大日本帝国憲法で使われている言葉・漢字や「教育勅語」や「軍人勅諭」といった「天皇のお言葉」の中で使われている言葉や漢字について正式に改正することなく臣民である自分たちが勝手に別の言葉や漢字に言い換えることなど制度的に出来ないとする主張を覆すことは困難であった[13]。そのため紆余曲折の上成立した当時の漢字制限のための漢字表には皇室関係の用語に使用される漢字などが一般生活での使用頻度とは関係なく入ることになり、それらの漢字表をもとに戦後になって限られた時間の中で改めて作成された当用漢字表にも天皇の自称である「朕」といった字が入っているなど、その影響が残っており、さらには当用漢字表を改正する形で制定された常用漢字表にもその影響が一部に残っている[14]。, 法令や公用文を分かりやすいものにすべきであるという1925年(大正14年)12月に行政審議会から出された「法令形式ノ改善ニ関スル件」を受けて1926年(大正15年)6月1日には、法令文について内閣訓令「法令形式ノ改善ニ関スル件」(閣訓号外・官報登載[15])が発出された。この訓令は、, 「現今ノ諸法令ハ往々ニシテ難解ノ嫌アリ。其ノ原因ガ内容ノ複雑ナルニ存スル場合ナキニアラザレドモ、記述ノ方法ヨリ來レルモノ亦少カラズ。」, 今の諸法令は必要以上に難しすぎる。その原因が法令の内容が複雑であることが原因である場合もあるが、記述の方法が原因である場合も少なくない。との認識の下で、, 「自今法令ノ形式ヲ改善シテ文意ノ理解ヲ容易ナラシムルコトニ力ムルハ時勢ノ要求ニ応ズル所以ノ道ナリト信ズ。」, これからは法令の形式を改善して理解を容易なものにすることは時代の要求にこたえるものであろうとして法令の形式の改善を図ろうとするものであった。その第1号において、, 「法令ノ用字、用語及ビ文体ハナルベク之ヲ平易ニシ、一読ノ下容易ニ其ノ内容ヲ解セシメンコトヲ期スベシ。」, との方針の下で、当時の公用文の用字の基本的形態である文語体や漢字片仮名交じり文を変えようとするものではなかったものの、次のことを定めていた[16]。, なお、本訓令の第2号以下では「多数に法令において文章の簡約を旨としているために、法文を理解するためには長文の注釈を加え、複雑な推論を必要とするものが多くあり、中には解釈上の疑義が生じたり見解の差異を生じたりするものもある。」との認識の下で、次のことを定めていた。, ただし、これ以後、この訓令に従おうとする動きは若干は見られたものの、大きな動きにつながることはなかった[17]。, 軍部は当初はこの公用文の表記改革の問題については保守的立場をとる勢力の代表格であり、「威厳を保つ」ことを重要視して、さまざまな公式発表や兵器の名称など内部で使用される用語についてもことさらに難しい漢字・難しい用語を使用していた。しかしながら当時存在した徴兵制度に基づいて次から次へと入ってくる十分な教育を受けていない新兵を速やかに教育する必要があった上、昭和10年代に入ってから日中戦争の拡大に伴って国家総動員状態になり、新たに入ってくる兵士の教育状態が低下する一方となった。そのようにして入ってきた新兵の中には漢字で書かれた兵器の名称などを正しく読み、理解することすら出来ない者も多く、それが原因で事故が続発する事態となったため、軍部は早急な国語の簡易化の必要に迫られることとなったため一転して国語改革推進の立場に立つことになり、陸軍省は1937年(昭和12年)12月に「用語統一に関する訓令」を、また1940年(昭和15年)2月29日には使用する漢字を1,235字種に制限した「兵器名称及び用語の簡易化に関する通牒」を発出し用語の簡易化をはかっている[18]。, 本格的に公用文の表記を改善しようとする動きが起きたのは1946年(昭和21年)4月17日に公表された憲法改正草案からである。日本国憲法につながる新憲法の草案は1946年(昭和21年)3月6日に公表された「憲法改正草案要綱」までは、内容的には主権在民、象徴天皇制、戦争の放棄などを規定したほぼ現在の日本国憲法と同じものになっていたものの、大日本帝国憲法と同じ文語体・漢字片仮名交じり文で書かれていたが、1946年(昭和21年)3月26日に「国民の国語運動連盟」が内閣総理大臣幣原喜重郎に対して以下の7項目からなる「法令の書き方についての建議」を提出したことによって本格的な法令・公用文の表記方法の改革が始まることになる[19]。, 当初政府はこの提案を受け入れることに難色を示していたが(但し、もともと法制局(現内閣法制局)の内部において一部に口語体化すべきではないかとの見解を持つ者もいたため、ごく非公式にではあるが口語体化が検討されていたとされている[22]。)、この提案を日本の民主化の為に国語改革が必要だとして日本語表記のローマ字化まで視野に入れていた[23]GHQが支持したことによって政府は方針転換し、憲法をはじめとする法令を口語化していくことになった。なお、憲法草案の口語体化の作業自体も、最初は「国民の国語運動連盟」の山本有三が手がけている。内閣法制局ではこの憲法改正草案を公表するに当たって、内容についての説明とは別に「憲法改正草案の文体等の形式に関する説明」という憲法改正草案の文体などについて説明した文書を公表しており、それには次の内容が含まれている。, これらは当時としては画期的であって、現在の「公用文作成の要領」(本通達)につながっている[24][25][26]。, 「憲法改正草案の文体等の形式に関する説明」に含まれていた法令文・公用文改善の方針は、その後様々に検討され修正を受けた。, これらが、1952年(昭和27年)4月4日付の本通達につながっている[28][29]。これらの検討と修正の作業は、次のような組織が行った[30]。, これらの組織には、時期によって多少の違いはあるものの、各省庁の代表者と有識者だけではなく立法機関、司法機関、地方自治体を代表する委員や新聞社、日本放送協会などマスコミを代表する委員、商工会議所など産業界を代表する委員も参加しており、中でも公用文改善協議会は当時の内閣官房長官である佐藤栄作(後の内閣総理大臣)が自ら会長を務めており、新しい公用文の表記のルールの確立が国民的関心の高い政治課題でもあったことを伺わせている[31][32]。, 本通達は、制定後通常の通達と同様に名宛となっている各官庁に文書の形で伝達され、制定後間もない時期に各官庁内で周知されただけでなく、『公用文の書き方 資料集』[33]などの市販されたいくつかの書籍にも収録されたり、本通達を解説する書籍も出版された[34]りしたことにより、その存在と内容を広く知られるようになった。これらのことから、後述のように部分的には様々な問題を含んでいたものの、「公用文を口語体の漢字ひらがな交じり文にする」といった本通達の多くの規定は順次実施されるようになっていった。, 本通達制定後も国語表記改革の作業は進められ、その成果として以下のような様々な告示・訓令・通達等が発出され続けた。, これらの告示・訓令・通達等の中には本通達で定められている事項について、本通達が定めた内容と異なると見られる内容を定めているものも含まれていたため、それらとの整合性が問題となった。通常の法令の場合、制定後に内容が矛盾する別の法令が制定されたような場合には改正や廃止の手続きがとられており、例えば1981年(昭和56年)10月1日に内閣告示及び内閣訓令によって当用漢字に代えて常用漢字が制定された際には、当用漢字に関する内閣告示及び内閣訓令は廃止され、本通達と同じように当用漢字に関連する規定を含んでいたいくつかの告示・訓令は改正されたり新たに制定し直されたりした[35]また通達についても、同日の事務次官等会議において「公用文における漢字使用等について」が申し合わされ、「法令用語改善の実施要領」(昭和29年11月25日法制局総発第89号)は「法令用語改正要領の一部改正について(通知)」(昭和56年10月1日法制局総発第142号)によって必要な改正が行われている。, しかしながら本通達については本通達は当用漢字を定めた内閣告示・内閣訓令に基づいて「第1 用語用字について」の「2 用字について」の中で使用しても良い漢字を当用漢字に限る旨の定めがあったにも関わらず常用漢字制定時を含めて制定以後一度も直接には改正されず、廃止もされなかったため、これらとの関係は解釈に委ねられることになった。, 通常、ある時点で定められた法令の内容とそれより後に定められた法令の内容が両立しない場合、「後法は前法を破る」とする原則により後に制定された法令が優先されるため、本通達の規定うち本通達以後に制定された告示・訓令・通達等に反する内容の部分は効力を失ったと考えられるが、国語表記全般に適用される規定を定めた告示や通達に対して公用文の表記を定めた本通達は特別法にあたると考えることも出来ることから、上記の原則より優先される「特別法は一般法に優先する」との原則により後に制定された一般法よりも先に制定されていた特別法が優先されるため、本通達以後に制定された告示・訓令・通達については「公用文における漢字使用等について(通知)」(昭和56年10月1日内閣閣第138号)のような公用文を適用対象として明記してある通達等が無い限り(またはそのような解釈が成り立たない限り)特別法として制定されている本通達の規定が優先されるべきであるという解釈が成立する余地も存在した。, このような状況の中で、1959年(昭和34年)に内閣告示及び内閣訓令として「送り仮名の付け方」が制定された際や1973年(昭和48年)に「当用漢字音訓表」及び「(改定)送り仮名の付け方」が内閣告示及び内閣訓令として制定されたときには、文部省や文化庁名義で編集ないし監修されている出版物(例えば当時大蔵省印刷局から発行されていた『公用文の書き表し方の基準 資料集』[1]や、現在は「国語研究会」名義で編集されているがかつては文化庁国語課名義で編集されていた『現行の国語表記の基準』[36]などの中で、編者(文部省や文化庁)によって「本通達のうち当然改められることとなる部分について,収録を省略する措置を講じ,注釈を付した」ものが収録されており、後述の「内閣官房による読み替え版」と同様に他の出版物に転載されるなどの形で広まっていた。, さらに、常用漢字表が制定された1981年(昭和56年)には、内閣官房によって本通達について「第1 用語用字について」の「2 用字について」を中心に「本通達のうち当然改められることとなる部分」について、必要な読み替えを行ったり収録を省略するといった措置を講じた上で頭注を付した「読み替え版」が作成された。この「読み替え版」は、文化庁編集の『公用文の書き表し方の基準 資料集』[1]などに収録されて一般に公開されている。現在では通常こちらが流布しているので、この読み替え版による限り、本通達制定後の様々な国語表記関係の告示・訓令等の制定・改正によって生じた内容の不整合のうち、最も問題となる常用漢字関係の告示・訓令等の諸規定との不整合は生じない。, ただし、この「読み替え措置」については、読替によって収録が省略された部分の中に現行の内閣告示等の規定と矛盾するとは考えられず収録を省略する意義が認められない記述が含まれているとの指摘もあり、「収録が省略された部分は廃止されたと考えてよいのだろうか」などとその法的性格について疑問を呈されることもあったが[37](p.26)文化庁が戦後の国語表記基準の流れをとりまとめた資料「戦後国語施策の流れ」では「一部改正」と付記された上で現在も有効なものとして掲載されている[38][39]。, 本通達には、通達の趣旨を説明した「まえがき」に続き、次の各内容に敷衍したものとなっている。, 第1から第3までには更に詳細な細目が付され、冒頭「特殊なことばを用いたり,かたくるしいことばを用いることをやめて,日常一般に使われているやさしいことばを用いる。(引用ママ)」のように大原則を冒頭に掲げ、続いて具体例や例外などを掲げている。, 本通達は、明示的な形では制定以後一度も改正・廃止がされておらず、これと矛盾する法令などが制定されているわけでもないので、現在でも形式的には有効である。, ただし、本通達は内閣告示・訓令などの形で国が定めたいくつかの一般的な国語表記の基準を前提としていて、そのうちの一つである当用漢字表が廃止されて常用漢字表が制定されるなど、いくつかは本通達が制定された後に改正や廃止がなされているので、それらとの関係が問題となる。一般的には、本通達の規定は「現在有効な国語表記の基準に反しない限り」有効であると考えられている。, 本通達に反したときの罰則規定はなく、作成された文書が無効になったり効力を制限されたりすることもない。そもそも、「原則として」、「なるべく」、「できるだけ」といった形で条件付きで定められている規定も多く、「日常使いなれていることばを用いる」や「口調のよいことばを用いる」といった漠然とした規定も多い。, これらの不適切と思われる規定は、書籍などに収録される場合にはその書籍の編集者の判断によって収録が省略されていることもある。文化庁文化部国語課編の『公用文の書き表し方の基準 資料集』[1]においては、「実施後の経過とともに適当でなくなった語例などがあるが、これらには手が加えられていない」と書かれていて、内閣官房が行った以外の収録の省略などの編集は行われていない。, 上記のような経緯から、本通達の現時点での有効性については、解釈に委ねられている面も残されてはいるものの、, などの理由により、現時点でも本通達の規定は「現在有効な国語表記の基準に反しない限り」有効であるとほぼ異論無く受け取られており、現在でも参照すべきものとして数多くの一般の出版物などにも収録されている。, 本通達は、本来は役所内部の指示文書であって、官庁に対して公文書を作成するに当たって従うべき基準を定めた通達なので、公文書の場合に有効である。また形式的には内閣が各省庁次官あてに発出した通達なので、内閣の指揮下にある行政機関だけを拘束するものであり、国会などの立法機関、裁判所などの司法機関、独立行政法人や特殊法人、都道府県や市町村などの地方自治体に対する拘束力はもっていない。, 一般の国民に対しては、役所に文書を提出するといった場合も含めて直接の拘束力があるわけではない。しかし、公文書以外でも論旨を明確に伝達することが望ましいとされる企業が業務上作成するビジネス文書(社用文、商用文など)においても従うことが望ましい基準であるとされることが多い。研究機関における適用例[44]もあるなど、公文書に限定しない国語表記の基準の参考資料とされることも多く[45]、一般的な日本語表記のためのガイドブックに本通達の本文が収録されたり[46][47][48]用字用語辞典に付録の形で本通達が収録されたり[49][50]、本文がまとまって掲載されない場合でも個々の項目で参考にされていることが明記されていたりしている[51][52]。, 日本工業規格の規格票では、用字用語は「常用漢字表」、「現代仮名遣い」、「送りがなの付け方」といった内閣告示によるほか、本通達によるとされている[53]。また、JIS Z 8303『帳票の設計基準』においては、帳票の用字及び用語関連の一般的な事項は本通達および「法令における漢字使用等について(通知)」(昭和56年10月1日内閣法制局総発第141号)によるとされている[54]。, マスコミでは、自社の著作物について表記の基準を定めていることがあり[55][56][57][58][59]、それぞれに独自の規程を含んではいるものの、本通達はそれらに対しても大きな影響を与えている[60]。, 法令文とは、法令を書き表した文章をいう。法令文は広義の公用文には含まれるものの、文語体・漢字片仮名交じり文や口語体の旧仮名遣いといった古い用字・文体で書かれた法令を一部分だけ改正するときは古い文体を保ったままで改正する(いわゆる「とけ込み方式」)ことになっているなど独自の扱いが必要になる場合も少なくないことから、法令文の取扱いについては、本通達内で「法令の用語用字について」という特別規定があるほか、別途内閣法制局によって定められた下記の通達がある[61]。, また、これらとは別に明文の規定はないものの、慣習的に「漢字」で記述するか「かな」で記述するかによって意味が変わったり使い分けたりすることとされている次のような語については、それぞれとる意味に従って漢字とかなを使い分けるとされている。, 本通達のさまざまな規定のうち、本通達制定以前から実施されていた「公用文は口語体・漢字ひらがな交じり文による」といった本通達の基本部分は、文章の口語体化について本通達制定前の1950年(昭和25年)に国語審議会によって編集された『国語問題要領』の中で「日本国憲法が公布されてからは官庁の文書も口語に改められるようになった」とすでに過去形で語られている[68]ようにおおむね実施されていると言える状況にあるものの、次のような完全には実施されていない規定も一部にある。, 公用文の横書き化の動きは1942年(昭和17年)7月17日に国語審議会が日本語の左横書きを定めた「国語ノ横書ニ関スル件」を議決し文部大臣に答申したことに始まるが、このときは世論の強い反対が起こったため予定されていた閣議決定は見送られ、実施に移されることも無かった。但しこのとき強硬に反対されたのは縦書きの中でも欧米的な性格が強いと当時受け取られていた左横書きであって、日本の伝統的な記法であると当時受け取られていた右横書きについては拒否されてはいない[69]。このときは有識者・文化人の中に強硬な反対者が多く、国語改革の中でも漢字制限には協力的であった新聞社も批判的な立場をとっており、東京の毎日新聞は1943年(昭和18年)3月1日から、大阪の毎日新聞は同年7月1日から、また朝日新聞も同年6月1日からそれぞれ左横書の広告の掲載を拒否している[70]。, 本格的に横書き化の動きが始まったのは、1949年(昭和24年)4月5日内閣閣甲第104号「公用文作成の基準について」の中で、「一定の猶予期間を定めて,なるべく広い範囲にわたって左横書きとする。」と定められたのが始まりであり、1949年(昭和24年)9月1日に文部省が実施した[71]のを皮切りに、一部の省庁では省庁ごとに期日を定めて文書を横書きに移行してきた。本通達でも「第3 書き方について」の「1」において上記の通達と同様に定められている。公用文の横書き化は公文書改革の中でも特に重要視された点の一つであり、本通達の中で定められているだけでなく本通達のもとになった「公用文改善の趣旨徹底について」とともに、1951年(昭和26年)10月25日に「公用文の横書きについて」が国語審議会総会で決議され、同30日に「公用文の左横書きについて」として内閣総理大臣に対して建議され、11月1日に次官会議了解、11月2日に閣議供覧となっている[33](p. 29)。この「公用文の左横書きについて」においては、1951年(昭和26年)5月時点での官庁・地方公共団体・民間諸団体等を対象にした文書の左横書き化の実施状況の調査を行い、それによって得られた, という調査結果について、横書き化を実施するまでの猶予の期間をせいぜい数か月から1年以内の「縦書き用に印刷されていた用紙を使い切るまで」程度に想定していた立場から、「横書き化の実施状況は満足できるものではない」と述べて公用文の左横書き化を一層推進するように定めている[72]。またこの時期文部省では様々な機会を捉えて日本語の横書き化のメリットを訴えている[73][74]。

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